メモ

大学が始まった。授業が始まった。卒論ゼミが始まった。就活が始まった。

晴れて大学4年生。もう学生最後の年で、来年からはたぶん新社会人。学生生活早すぎた。けど、別に惜しいとは思わない。

就活は本当に嫌い。数百文字のエントリーシートと長くて1時間程度初対面の大人と喋った程度で、「企業との相性」という言葉で、自分の将来が決められてしまう。その少ない要素に自分を詰め込みプレゼンすることを就活と呼ぶのだろうか。

でも私の21年間と私の良さはそんな数百文字とタートル3時間弱程度ではもちろん収まりきらない。就活をすればするほど段々と意味がわからなくなっていく。

かと言って、就活をしないという選択肢を選べるほどバカでもなければ自信家でもなく何か力があるわけでもない。

先日友人に「君はなんだかんだ言って普通の人間でありたいところがあるよね」と言われた。確かに!と思った。

人とは違う存在でありたいと思いながらも、人と違ったことをするのは苦手だ。将来自分で都内に住めるだけの財力とそれなりの生活水準が保証される環境が欲しくて就活をしている。別にしない選択もあるとは思うが、「就活をしなかった自分」になると罪悪感を抱く自信しかないから一応就活をしている。

大学も然り。大学も大学の友人も嫌いだが、「大学に行かなかった自分」を嫌いになる自信があるから行っている。結局は普通でありたい人間。

教職を取っている。ゼミの教授に教育実習で抜ける期間があると伝えると、教職を取っていることに驚かれた。学科的に教職を取る学生が少ないのもあるが、普段の私の周りの印象はダウナー系でだるそうにしているらしい。基本無駄な労力は使いたくないため低燃費で動いている自覚はあるが、しかしやはり普通でありたいから根はとても真面目である。おそらく、私のことをダウナー系だと思っていた教授が驚いたのはその部分であろう。

一応大学に行き、その中で教採を受ける気はないが一応教職を取り、一応就活をしている。尊敬している教授はとても変な人で、ふとしたことからその物事の真理について考え始める。そんな彼からすると、私は真面目に課題を出し教職も取り就活もし、「思っていたより普通の人間」と捉えられるのかもしれない。それはそれでなんとなく悲しい。

個性が欲しいが浮くことが怖い面白みのない人間である。