メモ

地元の友達が遊びに来ていた。

卒業してからもよく遊びに来てくれている友達。

気を使わないと言えばそうだけど、そうじゃないと言えばそうかもしれない。大好き!など言うほどでもないし、普段はほとんどラインもしないし、会った時にお互いの学校の話も特にしない。繋がりは趣味が同じこと、お互いに好きなことを共有し合っていること。共通の趣味のおかげで高校の時に仲良くなれて、それからずっと事あるごとに遊ぶ。心の友のようなものも良いかもしれないが、趣味が合う友達ってやっぱりすごく大事。特に彼女は、私と気が合っているようで、ストレスなく過ごせる。こう言う友達、すごく良い。

ということを彼女が明日地元に着く夜行バスに乗るために東京駅を目指して池袋を発つ時、JRの改札で見送った時にふと思った。そして同時に、明日は学校があり、クリスマスイブで、心の友とも、趣味が合う友達とも言えない学校の友達のことを思い出した。私は声をかけられていないけど、たぶん彼女らはクリスマスパーティーを明日か明後日に行うのだろう。タイミング的に声をかけられなかったということ、ハブられているわけではないということを十分に承知しているが、それでも憂鬱に寂しくなってしまう。

というのが最近までの私。

今は、(特に今日は)趣味が楽しかったから、充実していたから何も思わない。楽しく1人でクリスマスの夜を過ごそう。特に何をするわけでもないけど、クリスマスはバイトだけど、好きな動画を見ながら好きなお菓子を食べながら過ごしたらいいじゃない。みんなで騒ぐのが良いとは限らない。睡眠不足になるし。私はバイトあるし。

 

バイト。楽しい。ふつうに。

と言うことを考えていたら、そうやって騒いでる同級生に少し苛立ちのようなものを覚えた。私は(好きで)こんなにバイトしているのに、彼らは何故そんなに遊んでいられるのだろうか。死にはしないけど、お金が少なくなることに何も思わないのだろうか。お金がないからと言う理由で窮屈な学生生活を送りたくはないと私は思う。金欠だとか言うやつ、ちょっとだけ嫌いだから。よくそんな呑気でいられるなと思ってしまう。私が働くことが好きなだけなのだろうか。よくわからない。でも、生産性のないことをして時間を無駄にしたくないと常に考えている。みんなで騒いで呑んでって時間は自分にとって生産性のない時間に分類されてしまうのだろうか。それはそれでなんだかつまらない人間みたいだから悔しい。でも、「金欠だから〇〇は無理」という奴のほうがつまらない。だから私はバイトをしよう。

明日からまたバイトと稽古の日々になる。気持ちばかりの冬休みもバイトと稽古で終わる。テストが終われば春休み。バイトバイトバイト。バイトから帰ってきて寝る準備をする頃には、12時間後にはバイトが始まっているんだと思う日々。社畜になるけど、学校に行っている時よりも社畜のほうが楽しい。働けば働くほど好きなことに使えるお金が増える。そしてまたストレスを消化できる。気持ちいい状態でバイトにいける。なんて素敵なサイクル。

 

はやく春休みになってほしいな。