メモ

わたしはまだ若いけれど、わりと行き当たりばったり思いつきの人生で生きて来ている。中学の時は運動部に入っていた。一年の終わり頃に突然、原因不明の腰痛に襲われて運動を思うようにできなくなり見学の毎日。二年のときに顧問が変わり、好き嫌いで生徒を完全に分けるその顧問のことが嫌いな上に、腰痛は少し良くなっているものの運動すると少し痛むが運動できないほどでもない状況に何となく罪悪感を覚えて少しの間部活をサボった。嫌いな顧問とうまくコミュニケーションも取れず、自分の思いも悩みもハッキリ伝えられないまま部活に復帰することができなくなり退部。周りにどうしてやめたの?と書かれると決まって、顧問が変わってその顧問と揉めてやめたんだと明るく説明する。その頃の自分は全て心の中がぐちゃぐちゃになっていたからそんなのも友達に説明もできない。二年の秋に部活をやめたが母親には何部でもいいから部活は入ってて欲しいと言われて、友達も入っていたし好きだったから美術部に入ってみた。その時期から丁度、生徒会の選挙が始まりそれにも立候補してみた。候補者が定員数と同じだったためそのまま当選し晴れて生徒会入り。生徒会の一年はバタバタで大変だったけどメンバーのことは大好きだったから楽しい一年間だった。

高校受験は、演劇を学べる美大に行きたくて、美術も好きだし勉強したくないしという単純な理由で美術科のある高校に推薦で合格。高校生はキラキラしているものだと思っていたがそうでもなく、たぶんわたしがキラキラした人間でもなかった。美術に明け暮れる毎日は何度もやめたくなった。好きだったはずの美術を毎日やるとなるとまた別の問題で、ある程度は楽しいけど少しずつ苦痛になっていく。三年になるとそれまで何回もかはあったが一気に学校に行きたくなくなり、でも行かないと怒られる状況に何度も絶望した。それでも課題を放棄する勇気はなく、先生に愚痴をこぼしてストレスを少しずつ解消して行きながら課題をこなす三年間。

大学受験はもともと中学の時から行きたい大学が決まっていて心変わりはずっとなかった。ただ難易度の高い美大だから演劇を勉強できると言えどデッサンが必要だった。それでもどうしても行きたくて高1の時から、高校1、2年は授業料が無料の美大専門の予備校に通い、夏休みや冬休みは大手の予備校の講習会に家から遠いからホテルに一人で泊まりながら通っていた。自分はすごく努力していたけど、たぶん才能がないってやつで、全然上達しないのが目に見えていて、もしかしたら努力がもっともっと必要だったのかもしれないけどそんなことよりも上達しないのが現実で。二年になるとその現実から目を背けることもいよいよできなくなってきてある日突然心が折れてしまい予備校に行くのを拒否し出した。先週まで行っていたのにいきなり行かなくなって、先生からは特に連絡もないがそのまま何となくやめていってしまった。そこでもうわたしの目標だった美大に行く道は閉ざされて、でも受験生だから何かしないと行けないと思いとりあえず学力を伸ばすために友達の行っていた塾に入った。第二志望に上げていた現在の大学に入るためにひたすら学力を磨く日々。塾はふつうに楽しくて、毎日ちゃんと勉強しに行っていた。でも効率も悪けりゃそこでも才能のないわたしは勉強できない自分に対してまた絶望。というよりかは、一緒に行っていた友達が効率よく成績を上げて行くのを隣で見ていて嫉妬でしかなかった。でも塾長たちのサポートのおかけでこんな才能のないわたしも成績はちゃんと上がった。また、これまでの人生でわたしは死ぬほど両親に迷惑と心配をかけてきた。文句を言わずにお金を出してくれる両親に感謝しかなく、放任主義の家庭で育ったがそれなりにしっかりとした大人になっていると思う。

わたしはたぶん才能がほしくて、自分に才能があると何度も信じ続けたが、どこにもそれは見つからなかった。この思いはわたしの現在の短い人生でも直面しているしこれから何度も味わうと思う。その度にわたしはどう思い、どう対処できるのだろうか。はたまた、いつかどこかでわたしはわたしの何かの才能に巡り会うことができる日が来るのだろうか。来て欲しいとずっと信じ続けている。人より少しだけ優れた、周りから評価されるものが欲しくて足掻いている。足掻く体力があるうちは模索し続ける。ただ純粋に才能が欲しい。